コーディネーターの役割は? 「障害のある当事者によるコーディネーター研修」レポート
- 報告レポート
2023.12.20(水)
もっといろいろな人にミュージアムにきて、楽しんでもらいたい。でもどのような準備をすればいいか、どんな情報を出せばいいかわからない。ミュージアムのこうした悩みに対して、誰もが安心してミュージアムを利用できるように、適切な配慮と環境づくりをすすめるのが、「ミュージアム・アクセス・コーディネーター(以下、コーディネーター)」です。
「障害のある当事者によるコーディネーター研修」は、ミュージアムの課題を抽出し、コーディネーターの役割を試験的に体験することで、コーディネーターの育成につなげることを目指す取り組みです。今回は、さいたま市立漫画会館(以下、漫画会館)と協働し、学芸員の石田留美子(いしだ・るみこ)さん、聴覚に障害のある当事者の立場からコーディネーターを務める伊東俊祐(いとう・しゅんすけ)さん、小谷野依久(こやの・いく)さんを中心に進行し、手話通訳と要約筆記(※)付きのギャラリートークの体験と参加者との意見交換から、より良い鑑賞環境をともに考える機会を設けました。
■誰もが訪れたいと思うミュージアムを目指して
池袋駅から電車で約30分。さいたま市立漫画会館(以下、漫画会館)のあるさいたま市盆栽町はその名の通り盆栽のまち。「大宮盆栽村」と呼ばれる地区には複数の盆栽園のほか、近隣にはさいたま市大宮盆栽美術館(以下、大宮盆栽美術館)もあり、国内外から多くの盆栽ファンが訪れます。
盆栽町に漫画会館が生まれたのは1966年。日本初の漫画をテーマにした公立美術館としてスタートしました。「日本初の職業漫画家」または「近代漫画の先駆者」とよばれる北澤楽天(きたざわ・らくてん/1876–1955)の邸宅跡地に建てられた漫画の美術館です。1966年に、北澤楽天の作品をはじめ、近現代の漫画作品の展示や収蔵などを行っています。
「障害のある当事者コーディネーター研修」が開催されたのは10月の日曜日。13時に参加者が集合しました。この日の研修は、聴覚障害者や、要約筆記を必要とする難聴者や中途失聴者に向けたケーススタディで、手話通訳と文字での情報保障を用いた鑑賞環境について考えていくコーディネーターの模擬体験の場です。漫画会館の会議室に集まった参加者は5人。手話通訳も入り、漫画会館学芸員の石田留美子(いしだ・るみこ)さん、当事者コーディネーターの伊東俊祐(いとう・しゅんすけ)さん、小谷野依久(こやの・いく)さんを中心に研修が進みました。はじめに漫画会館の取り組みの紹介があり、次に石田さんによる手話通訳と要約筆記が付いたギャラリートーク、最後に全員で振り返りと意見交換を行いました。
まずは全員で自己紹介をしたあと、石田さんが漫画会館の活動を紹介。漫画会館では月に一度、学芸員によるギャラリートークを開催していますが、すべての回に手話通訳をつけています。石田さんは、前職の大宮盆栽美術館でもボランティアによる日本語、英語、中国語、フランス語、ドイツ語など多言語の通訳と同時に、手話通訳付きのミュージアムツアーに取り組んでいました。大宮盆栽美術館で、様々な国籍の人が、様々な言語で盆栽を楽しむ姿を見て、自身も海外で「言葉が通じない」経験があることから、「手話」もひとつの言語だと感じるようになり、話しながら通訳ができる手話に言語としてとても魅力を感じたそう。漫画会館に異動して2年目。引き続き多くの人に美術館に来てもらうための活動を続けたいけれど、学芸員は石田さん一人では手が足りない。困っていたときに地元の高校の先生が見学に来て「高校生たちと協働しましょう」と提案してくれました。そこで、見えない人と絵を楽しむときにどんなことができるかを考え、北澤楽天の触れる絵を制作。また聞こえない人に展示内容を伝えるときの工夫を考えるワークショップを実施しました。こうして、誰にとっても訪れやすいミュージアムを目指しています。これまでギャラリートークに要約筆記をつけたこともあるそうですが、どのくらいのニーズがあるのか、実施する際の注意事項などは模索中。「ギャラリートークに参加したあと、ぜひこうやって説明したらわかりやすいとか、もっとこんなことがあれば楽しめるなど、教えてください」と、今回の研修に期待を込めました。
■手話通訳と要約筆記で、漫画の展示を楽しむ
展示室に移動し、実際にギャラリートークを体験していきます。開催中の企画展は「魔夜峰央原画展~パタリロ!ラシャーヌ!翔んで埼玉!!」。2019年に映画化されたことでも注目を集めた『翔んで埼玉』の原作者、魔夜峰央(まや・みねお/1953–)さんの画業50周年を記念した原画展です。魔夜さんは新潟県出身。ギャグ漫画『パタリロ!』の連載が軌道にのり、上京したのが埼玉県所沢市でした。そして1982年に生まれたのが『翔んで埼玉』。連載から30年以上経ってから人気が再燃し映画にもなりました。展示では、いまも連載が続き100巻以上刊行している魔夜さんの代表作『パタリロ!』をはじめ、インドに住む美少年「ラシャーヌ」を主人公にしたギャグ漫画『ラシャーヌ!』、そして『翔んで埼玉』の3つの作品を原画でたどります。
ギャラリートークでは、はじめに石田さんから「声の大きさや早さは大丈夫ですか?」と参加者への確認がありました。ギャラリートークがスタートし、『パタリロ!』の作品の前で止まった石田さん。「この3つの作品にあるバラの花を見て、何か気づくことはありませんか?」。魔夜作品の重要なモチーフであるバラの絵に焦点があてられます。参加者の一人は「描き方が違うので、同じ人が描いたのではないかも」と答えました。また別の参加者も「塗り方が違うような……」と気づきます。すると「3作品とも魔夜先生の3人のアシスタントさんがそれぞれ描いたバラなのです」と石田さんから種明かし。漫画作品の背景に多くの人の関わりを感じることができます。
次に『ラシャーヌ!』の一コマに注目。背景が黒一色で塗りつぶされた「ベタ」について「魔夜先生は、墨汁で3回くらい塗ってベタをつくっています。ここまでベタが均一で美しいのはほかの漫画家でもなかなかいません」と紹介しました。
漫画の面白さといえば「オノマトペ」。走るときの「ガサガサガサ」「カサカサカサ」、扉が閉まる「バタン」という音、また「キャー」という歓声や、「フン!」といって拗(す)ねる仕草など、魔夜さんの作品でも特徴的なオノマトぺが紹介されました。
作品が展示されている部屋の隣には、読書コーナーやフォトスポット、北沢楽天の紹介コーナーも。駆け足で展示を堪能し、30分ほどのギャラリートークは終了しました。
■より良いギャラリートークにするために
ギャラリートークのあと、会議室に戻り、1時間ほど意見交換をしていきました。最初に小谷野さんと伊東さんが振り返ります。小谷野さんは研修では時間が限られていたことに触れながら「鑑賞だけの時間がもう少し必要」ということ、また「要約筆記者や手話通訳者への資料の事前提供の必要性」についても話しました。これまでも漫画会館の手話通訳付きギャラリートークに参加した経験のある伊東さんは、今回初めて要約筆記を利用。学生のころに大学の授業で利用した経験もあり、要約筆記は内容が要約される点で「手話通訳に比べると情報が限られる」一方で、「要点だけまとめた内容を知ることができる」という利点を挙げました。
伊東さんの話をきき「毎回要約筆記をつけたほうがよいかどうか」と悩む石田さん。ギャラリートークには毎回手話はつけているけれど、どのくらい手話を使う人がいるのか、また要約筆記を必要としている人がどのくらいいるかわからずにいるそうです。今回の要約筆記を担当した参加者は、「障害者手帳を持っていない人でも、聞こえに不便を感じている人はたくさんいると思います」と話しました。
石田さんは意見交換では「どんな資料があるとよいか」「どこに情報を発信するとよいか」を考えていけたらと提案しました。
■どんな資料が必要か?
小谷野さんも指摘した資料の必要性。誰にとってもより深い鑑賞ができるような補助資料は石田さんも必要だと考えていますが、ネタバレしてしまうと鑑賞の妨げになるのではないかという不安も感じています。
それに対して小谷野さんは「ネタバレが嫌な人は、あとで資料を見るなど選択ができたら良い」し、「資料をその場だけでの貸し出しにするのも良いかもしれません」と話します。補聴器と人工内耳で聴力を補っている小谷野さんは、昔は映画を鑑賞するときもあらかじめパンフレットやあらすじを読み、見た人の感想も読んでから映画を見ていたそうですが、それでも8割くらいの理解だったと言います。
手話通訳を利用する参加者も「たとえば面白いポイントなども事前にわかっていたほうが、通訳の時間差がなく一緒に笑うことができると思います」と続けました。また普段から手話通訳を使わず人工内耳で聞く参加者は、オノマトペの「フン」という音が「ツン」と聞こえたことを振り返り「単語だけだとわからないので文脈で知ることができたら」と資料の必要性を指摘しました。手話通訳の仕事をする参加者は「ラシャーヌ」「パタリロ」などの固有名詞がマンガのタイトルなのか主人公の名前なのかがわからず混乱したとふりかえります。ほかの参加者も専門的な用語が難しい、と指摘。石田さんからいつものトークでは用意している漫画の拡大コピーの必要性を改めて感じたこと、資料には、漫画作品についての基本的な情報や「ベタ」などの専門用語などの掲載が検討されました。
■どこに情報を発信すればよいか?
次に、もっと多くの聞こえない人や聞こえにくい人にギャラリーツアーに来てもらい、仲間を増やすためにはどのように情報発信をすればよいかが議論されました。
東京に在住の参加者からは「埼玉県内だけではなく関東全域を視野に入れて情報発信してもいいと思う」と、より広い範囲での発信が提案されました。本人はSNSのほか「しかく広場」というウェブサイトや「聴力障害者情報文化センター」で情報収集しているそうです。別の参加者は「チラシミュージアム」というアプリやろう学校などへのチラシ配布を挙げました。「クチコミもあるかも」という参加者がピックアップしたのは、手話を使う店主がいる「サイン ウィズミー」(文京区)、「ふさお」(新宿区)、「麺屋 義」(めんやよし/台東区)などの東京のカフェや居酒屋、ラーメン店。ろう者のコミュニティで継続的な開催が知られると広がる可能性を示唆しました。チラシの配布先としては、小谷野さんは手話サークル、手話講習会、障害者施設なども挙げ「『手話通訳付き』と大きくチラシに書いてもらうと目に止まると思います」と印象に残ることの重要性を話しました。
伊東さんも「情報保障がされているというビジュアルは重要、手話のマークなどを活用するとよい」といいます。そしてミュージアムのイメージが「誰にとってもアクセスしやすい場所」ではないことを補足。「そもそもミュージアムは聞こえない人にとってアクセスしにくい場所であることを認識したほうがいいかもしれません。そのうえでまずはいろいろなところでどんどん発信していくことが重要だと改めて思います」と話しました。
「周囲には、ミュージアムにはなかなか自主的に行けない人も多いと思います。安心であることがわかれば来てくれる人も増えるかもしれません」と参加者も続けます。実際、ミュージアムに行く前に情報保障があるかどうか確認するという参加者も「最近、東京都の美術館には手話動画がありますが、展覧会の企画説明などにも、そうした手話の動画がついているとより良いですよね。こうしてインフラのレベルで手話があることが来場者へのアピールにもなると思います」と話しました。
最後に石田さんは「貴重な意見をいただけました。どんどん発信していくことで認知度が上がっていくと感じます」と締めくくりました。
■コーディネーターの役割
今回の研修では、漫画会館の悩みを起点に、コーディネーターの役割をシミュレーションする機会となりました。研修を振り返り、國學院大學で博物館学講座を担当しながら国立アートリサーチセンターのラーニンググループで客員研究員も務める伊東さんはコーディネーターの必要性、そして当事者の視点の重要性を話しました。国連で2006年に障害者権利条約が採択されて以降、日本でも「当事者の声」が重視され、バリアフリーやユニバーサルデザインが浸透していますが「いろんな人が同じスタートラインに立つためにはいろんな人のニーズを考えなくてはならない。そのためにはやはり当事者の立場から何が見えるか、最初の企画段階から関わることも重要」だと話します。旅行会社に勤務し、NPO法人東京都中途失聴・難聴者協会の理事も務める小谷野さんも当事者の視点の重要性について話しました。
「聞こえない人の世界は聞こえる人からは見えないことがあります。たとえばオノマトペでも『ドキドキ』という心臓音は、普段聞こえる音ではないですよね。でも『グ〜』というお腹が鳴る音は聞こえている。その違いも聞こえないからこそ気づくことができるのです」
コーディネーターはまだ発展の途上にありますが、多くのミュージアムで必要とされている役割です。みんなでミュージアムでは、活動をともにするパートナー・コーディネーターを募集しています。
※要約筆記とは?
聞こえない人に対する情報保障で、話の内容をその場で文字にして伝える方法。話すスピードが書くスピードよりも速いため内容を要約して筆記する。手で書く方法と、パソコンで入力する方法がある。要約筆記者になるには、各自治体が実施する「要約筆記者養成講習会」等に参加し、カリキュラムを終了後、試験を受験する。
執筆:佐藤恵美